平成的というのか、子供向けというのか、意外な展開を期待した割には普通に終わったというのか、の最終回でした。下馬評に一喜一憂するのは楽しかったですけれど。
「よくも大切な人を」 とか 「誰ひとり犠牲者は出さない」という科白を聞くに、街の人たちはみなさん地下に避難して無事だったようです。エンペラ星人って強大な力をウルトラマンに対してだけ使っていたようで、無辜の市民を巻き添えにしないあたり結構まともな人なんではないでしょうか。まあ、そもそも地球を襲った理由があれで地球人にうらみはなさそうですから・・・。
メビウスもヒカリも最終3部作で何回消えて、何回復活するんでしょうね。ま、何度まけてもあきらめずに復活するのはいい?ことですけどね。
ウルトラの父が「かけがえのない星」と言ったせいで地球は狙われたわけですね。その代わりに、ウルトラ一族はあくまで地球を守り続けてくれる気のようです。「地球はわれわれ自身の手で守る」という時の「われわれ自身」というのはウルトラ一族と地球人のことだったんでしょうかね。
ウルトラマンエース、トップを飾るいい役ですね。やっぱりイマドキのウルトラセブンはなんか妙な気がしますね。さすがにウルトラマンはいつ見ても端正ですね。
ファイナルメテオールには、個人的にウケてしまいました。ま、ありがちな造形ですから・・・。それにしても、その技術でメビウスに新兵器でも作ってあげていれば、激弱の汚名返上できたのになってちょっと残念です。
なんかもう、BGMがウルトラマン的じゃないような気がするというのは言いすぎですか。やっぱり。
ゾフィがサコミズ隊長に「共に行こう」というのと、リュウとヒカリが人格まで同一化したのはどうにも意味がわかりません。ウルトラ兄弟とGUYSのメンバーに1対1のつながりがあるように見える割には、ミライも含めてみんなでメビウスに変身するというのも良くわかりませんでした。人格とか、主観とか、力を使っている意志がだれので、自分はそれに対してどういう立ち位置にいるのかなどということは、変幻自在なものなのでしょうか。
メビウスの展開に意味づけをする努力は放棄しましたからいいんですが、こういうところを見るにつけ「昭和ウルトラマンの世界を継承した設定」というような表現はちょっと違うでしょうと思います。好意的に表現すれば新しい解釈をしたのですが、下馬評にあったような思い切った新しい展開もなく、結局単に場を盛り上げる表現優先でツジツマがあうかどうかはどっちでもいいのだろうと思ってしまいます。ツジツマをあわせるためにつまらん話になってもいいとはいいませんし、ある意味意外な展開がなくてほっとしている面もありますが。
地球は俺たちの手で守っていける。リュウがまた言ってますが、この展開から考えてまあ無理でしょう。そういってもらわないとヒカリは帰りづらいでしょうけど。
ウルトラマンは地球人と融合することで、自分以上の力を発揮できるのかもしれません。では人間はウルトラマンのエネルギー源なのでしょうか。元気の素?なのでしょうか。
力をあわせるとは、心を合わせてひとつになることなのでしょうか。ウルトラマンが圧倒的な力であるなら、人間は科学技術でも、アイデアと工夫でも、せこい裏工作でもかまわないから、人間らしい方法で「力をあわせる」ことはできないのでしょうか。メビウスのテーマがそういうことではないのは知っていますから、ここでこんなことを言い出しても仕方がないし、コンテンツが豊富な今日日にウルトラマンにそういう展開を求める必要はないのかも知れませんが。
ウルトラマンとも当分のあいだお別れです。
思えば、たまたま見たウルトラマンマックスが面白かったことに端を発して、昭和・平成のウルトラマンを全部見ようかという勢いになってしまった私です。(レオのDVDレンタル開始、早いとこお願いしますね~。)子供の頃の記憶ではあまりおもしろくないと思っていたエースもタロウも今見るとおもしろいです。いつかメビウスも見直してみるとおもしろいと思う日が来るのかもしれません。

さようなら、GUYSのみんな。
愚痴のような記事を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
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